【アート】津軽の伝統「こぎん刺し」の“概念を超える”! 76歳で初展覧会・唯一無二の作家が編み出した独自の技法「まだら刺し」とは?
特集は津軽こぎん刺しで大きなアートを制作する唯一無二の作家 貴田洋子さん76歳です。
幾何学模様が特徴の伝統工芸で、曲線を描きたいと独自の技法を編み出し、作品を見た人を圧倒しています。
青森市の県立美術館で現在開催中の作品展「スーパーコラボ展」。
岩木山を描き続ける画家の石澤暁夫さんと一緒に作品を展示しているのは、76歳にして初めて展覧会を開く弘前市の津軽こぎん刺し作家 貴田洋子さんです。
貴田さんは布に針で糸を刺すこぎん刺しで、色鮮やかなアートを制作する唯一無二の作家です。
作品にたびたび登場するのが、神の鳥と言われる「八咫烏」と津軽のシンボル「岩木山」。
糸の色を少しずつ変えて空のグラデーションを表すなど、その技は繊細です。
大きな作品は制作するのに、およそ3か月間かかります。
中でも来場者を驚かせているのが、幾何学模様が特徴のこぎん刺しで、なめらかな曲線の岩木山の稜線を描く独自の技法です。
★津軽こぎん刺し作家 貴田洋子さん
「基本的な模様をただひたすら刺していくんです それを『まだら刺し』と名付けました」
「1つの模様を刺していくとムラが出来る ムラが出来るということは直線が崩れるから、ゆらぎがそこに生まれてきます」
訪れた人は、まるで絵画のような作品に圧倒されていました。
★来場者
「(こぎん刺しで)絵画みたいなのがあまりないので、すごく見応えがあるし、作品時間がどれくらいかかるのかとか、すごく気になります」
「(こぎん刺しが)芸術になったんだなと思って見ていました 圧倒されて」
「感動してことばが出ません」
大鰐町出身の貴田さんは20歳代でこぎん刺しに出会い、独学で学びます。
本格的に作品をつくり始めたのは、東京に移住した40年前からです。
こぎん刺しの文化を廃れさせてはいけないと、アートとして見せることにこだわりました。
★津軽こぎん刺し作家 貴田洋子さん
「名刺入れとか財布とかそういうものは本当に伝統的なもので『用の美』 身につけて使えるもの『用の美』だと私も思っています。ただ私の場合は、身につけることもできないし飾って見てもらう」
「壁面にかけて見てもらうというのが私の原点」
貴田さんは努力を重ね、2009年に「色取りの舞」で日本美術展覧会、「日展」で初入選。
2021年には独自の技法「まだら刺し」で岩木山を描いた「つがる・稔り輝く」が、日展で入選の中でも上位の賞「特選」に選ばれました。
★津軽こぎん刺し作家 貴田洋子さん
「ゆらぎを大胆にしたかったんです。緻密に刺していくのではなくて、岩木山の岩肌を出したいと思って」
「この辺とかね、ちょっとくぼんでいる所がある 岩木山にはあれを出したかったし」
「荒々しいような岩肌を出したいと思いました」
去年4月、貴田さんの作品を弘前市内で偶然見かけた画家の石澤さんは、その斬新さに心を奪われました。
そして作品のほとんどが倉庫に眠っていると知り、展覧会の開催を提案したのです。
★岩木山を描き続ける画家 石澤暁夫さん
「色鮮やかな作品で圧倒されて大ファンになりました」
「貴田さんの緻密なこぎん刺しの、こぎんの概念を超えるようなすばらしい作品がたくさんありますので、その辺もご覧になっていただければと思っています」
貴田さんが作品の制作中つねに意識しているのが、明治時代に野良着をこぎん刺しで補強した津軽の女性たちです。
★津軽こぎん刺し作家 貴田洋子さん
「野良着というのがいちばん大事で、いちばんのこぎん刺しだと思っている」
「100年たった今、私たちがあれを見て勉強してこういう刺し方をしていろんな『用の美』でも、私みたいにアートにしてもやれるようになった」
「つねに私は明治の女たちの意識を感じながら刺しています。大切にします、受け継ぎます、伝えますというふうな」
孤高の作家・貴田さんは、後世にこぎん刺しを伝えるためこれからもアート作品を作り続けます。