■大鳴門橋・開通から40年 今も県民の「夢の架け橋」【徳島】(徳島県)
本州と四国を結ぶ大鳴門橋は6月8日で、開通からちょうど40年を迎えました。
「夢の架け橋」として県民が沸いた開通当時の盛り上がりと、大鳴門橋の40年を振り返ります。
夢の架け橋
鳴門の渦潮が行く手を阻む航海の難所、鳴門海峡。
そこで大鳴門橋は40年間、本州と四国をつなぎ続けていました。
開通当時の盛り上がりは「記念レコード」に
小松島市に住む東根泰章さん。
大鳴門橋に格別の思い入れを持つ1人です。
(東根泰章さん)
「そこにできた橋が、徳島を便利にしたというのを、つくづく感じる」
「こう見れば簡単にできているようだが、当時は世界一の最新技術と言っていた」
当時の県民にとって、大鳴門橋はまさに「夢の架け橋」でした。
開通当時の盛り上がりは、記念のレコードが作られたほど。
その作詞を担当したのが、東根さんです。
東根さんは市役所勤めのかたわら音楽活動もしていて、県の依頼で作詞を担当しました。
(東根泰章さん)
「できている時にも何度もここへ足を運び、橋脚ができたロープがかかった橋が延びていくというので」
「歌で4作、鳴門海峡をテーマにした歌を書いた」
「♪大鳴門橋音頭」詩:東根泰章 曲:吉崎憲治 歌:瀬戸内美八(元宝塚)
着工は1976年。完成まで9年の歳月がかかった。
元は1914年帝国議会で、上板町出身の中川虎之介衆議院議員が提案したのが始まり。
激しい潮流の中、命がけの工事だった。
渦潮を守る「多柱基礎工法」
渦潮を守るため「多柱基礎工法」が採用されるなど、技術の粋が詰め込まれた。
総工費1100億円。
昭和60年6月8日「大鳴門橋が開通」
「昭和60年6月8日、午前10時5分」
「全長1629m、世界第10位、東洋第1位の長大橋、大鳴門橋が開通しました」
(東根泰章さん)
「本土が自分たちの土地になったような」
「バーっと走っていって、いちいち入場ゲートがないような」
「自分たちの土地になったような大きい気持ち、良い意味での錯覚を起こした」
博覧会「鳴門ピア」
開通を記念して、今のポカリスエットスタジアム周辺鳴門総合運動公園では、博覧会「鳴門ピア」が開かれ、架橋に関する最新技術などが紹介されました。
50代以上の方なら、「行った!」という人も多いのでは?。
大鳴門橋を歩いて渡るイベント
また、大鳴門橋を歩いて渡るイベントには、1万7200人が参加しました。
その中には東根さんもいました。
(東根泰章さん)
「当時の建設した人たちが『風が下から吹くと捻じれて外国で橋が落ちた。空気が抜けるようにしている設計にしているから安心してください』40年前にそう聞いた」
まさに「夢の架け橋」だった大鳴門橋。
大鳴門橋の通行台数
通行台数も年々増加し、初年度約233万台だったのが、明石海峡大橋が開通した1998年度には、600万台以上に。
コロナ禍では一時、落ち込んだものの、それ以降は増加傾向で、2024度は約981万台と過去最高を記録しました。
橋桁の下に新幹線を通す計画は中止となりましたが、その空間はのちに観光施設「渦の道」になりました。
渦の道
さらに今、そこへ「大鳴門橋自転車道」の整備が進んでいて、早ければ2年後には大鳴門橋を自転車で渡れる日がやってきます。
潮風にさらされても補修を続け40年、私たちの暮らしを支え続けてきた大鳴門橋
(東根泰章さん)
「ここを渡る時に、四国をつなげた橋があるというのを」
「われわれや、県外からくる人も、この橋が世界最大の事業だったというのをわかってほしい」
たとえ東洋一ではなくなっても、大鳴門橋は今なお、県民にとって世界で一番の「夢の架け橋」であり続けています。
(06/09 18:30 四国放送)
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