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児童らが「廻り踊り」で平和願う 疎開中の火災で16人が犠牲になった真光寺【徳島】(徳島県)



太平洋戦争末期、大阪から疎開中の小学生16人がつるぎ町の真光寺で、火災によって亡くなりました。

それ以降、その大阪の小学校と交流を深めてきた貞光小学校の児童らが、戦後80年の節目となる2025年「廻り踊り」を奉納しました。

踊りに込めた児童の思いを取材しました。

■重く深い歴史

つるぎ町貞光の真光寺。

古くから伝わるまちの伝統芸能「廻り踊り」を披露するのは、地元・貞光と大阪の南恩加島の児童。

大阪の小学校と真光寺、そこには重く、そして深い歴史がありました。

太平洋戦争末期。

■疎開中の火事で児童16人犠牲

真光寺には、大阪市の南恩加島小学校から、男子児童29人が集団疎開していました。

しかし、1945年1月29日。

本堂が火事になり、逃げ遅れた16人が犠牲となりました。

■「十六地蔵尊」

翌年、16人の魂を弔い、なぐさめるための像「十六地蔵尊」が建てられました。

それ以降、毎年、法要が営まれています。

■「廻り踊り」2008年以降途絶える

2006年からは、南恩加島小学校の6年生が修学旅行で真光寺を訪れるようになり、「廻り踊り」を奉納していました。

しかし、練習時間の確保の難しさなどで、2008年を最後に途絶えていました。

その「廻り踊り」を17年ぶりに復活させようと声をかけたのが、真光寺の井村淳海住職です。

■「戦後80年」を機に

(真光寺・井村淳海 住職)
「(戦後)80年になるから、なにか子どもさま方の心に残る、そして未来につなぐことをやりたいなと」

本番2週間前…。

■17年ぶりの復活へ

この日、貞光小学校では、「廻り踊り」の伝承に取り組む地元住民らの協力のもと、練習が行われました。

「廻り踊り」は、つるぎ山系に古くから伝わる先祖を供養するための踊りで、今回の演目「十六地蔵尊由来記」は、約50年前に悲劇を語り継ごうと作られました。

ほとんどの児童が、廻り踊りははじめて。

それでも何度も踊り、だんだんとコツを掴んでいました。

(貞光小学校6年・中山優誠くん)
「僕たちが復活して初めて踊るので、めっちゃ緊張します」
「亡くなった16人の子どもたちと、共に踊る感じで踊りたいです」

そして迎えた本番。

音「こんにちはー!」

大阪から、南恩加島小学校の6年生42人がやってきました。

■平和の尊さ胸に奉納

貞光小学校の児童らとともに、17年ぶりに廻り踊りを奉納します。

(貞光小学校6年・喜多ななみさん)
「南恩加島小学校のみんなとの絆を深められたし」
「廻り踊りをみんなでできたので、とても嬉しかったし、楽しかったです」

(南恩加島小学校6年・畠中涼奈さん)
「十六地蔵さんの16人の思いを胸に、みんなで一緒に踊りました」

(南恩加島小学校6年・有長結雅さん)
「これからもずっと2度と戦争が起きないように、平和を祈りながら踊りました」

(真光寺・井村淳海 住職)
「彼らの心がお地蔵さんを通して、80年前の16人の生徒さんの供養につながっていくかなって」
「お地蔵さんの顔を見るたびにそう感じながら、一時を過ごしておりました」

その後、短い時間ながら交流を楽しんだ児童たち。

■「絆」を未来へ

平和の尊さを胸に刻み奉納した「廻り踊り」、80年前悲劇によって生まれた絆は、これからも両校の児童らによって未来へつなげられていきます。

廻り踊りは2026年以降行われるかは未定ですが、真光寺の井村淳海住職は今後も続けていきたいということです。

(06/16 18:20 四国放送)

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