■【逸品】@二戸のソウルスイーツ「チーズ・ピッコロ」復活 老舗菓子店閉店で失われかけた“二戸の味”を地元企業が受け継ぐ(岩手県)
今月のプラス1は県内各地の自慢の「逸品」をシリーズでお伝えします。1回目は復活を果たした二戸市のお菓子です。後継者不足で失われかけた味を地元の企業が受け継ぎました。
整理券を求め並ぶ人の列。その先にはこの日、復活を果たした"ある名物"が。
二戸市民 女性「特別な時に食べる。この辺にないお菓子だから」
二戸市民 男性「どこかに(手みやげで)持っていけば間違いない!喜ばれる!」
二戸市民 女性「おいしいしかない!お盆とかは本当に助かる。お客さんにもあげるのにいいし」
二戸で愛されてきたソウルスイーツ、その名も「チーズ・ピッコロ」。
手のひらサイズのロールケーキに、特製チーズクリームがたっぷり。
後継者不足で失われかけた"二戸の味"。地元企業が受け継ぎ、新たな一歩を歩み出しました。
「チーズ・ピッコロ」を作っていたのは二戸市の老舗菓子店「どんぐり堂」。今年1月、惜しまれながら閉店しました。
扇田浩一さん
「もう仕事は辞めたので散らかしっぱなし」
「チーズ・ピッコロ」の生みの親である扇田浩一さんは、今年87歳。高齢による体調面の不安もあり、 引退を決意しました。
扇田浩一さん
「まだやればやれるんですけど、でももうたくさんでしょう」
盛岡や青森で15年近く修行を積んだ扇田さんは、1967年、二戸市に戻り「どんぐり堂」を創業。新たな商品開発に試行錯誤していました。
扇田浩一さん
「どうしてもお菓子は甘い物が多い。チーズを使って甘さを若干抑え、お塩も入れ、甘くないお菓子を出した」
甘味の中に感じる程よい塩気、そしてふわふわの生地。「チーズ・ピッコロ」は瞬く間に評判となり、連日行列ができるほどのヒット商品に!多くの人に愛されてきました。
扇田浩一さん
「もう少しで90になるが、こんなに長くやるとは思わなかった。うちは子どもができなかったので、次の代にといっても難しいと思った。なので、とにかくやれるとこまでやろうと」
ここ数年は体調を考慮しながら営業。扇田さんを心配する声と共に、「チーズ・ピッコロ」の存続を願う声も多かったといいます。
そんな中、地元の宝を残そうと手を挙げたのが、若鶏の生産を手がける地元企業「あべはんグループ」でした。先代社長と扇田さんが同級生という縁もあり、異業種ながら、挑戦することを決めました。
向井さん
「企業秘密になってしまうんですけど、どんぐり堂さんから教えていただいた分量そのままに作っておりまして、一生懸命作っています」
製造を担当するのは地元出身の向井優衣さん。お菓子作りが得意ということで、重要任務を任されました。
向井優衣さん
「大好きで食べていたお菓子だったので、実際に自分がいざ作るってなったら、本当にいいんですか?という。いいんです?私で?みたいな感じでしたけど。でも任せていただける以上、頑張って精一杯作りたいなって思います」
去年の秋から扇田さん自ら作り方を指導。
この春、どんぐり堂直伝「チーズ・ピッコロ」が完成しました。
先日、あべはんグループが開いたイベント。多くの市民が見守る中、「チーズ・ピッコロ」の継承式典が行われました。
扇田浩一さん
「チーズピッコロお預け致しますので。末長く可愛がってやってください!」
阿部社長「大切に引き継がさせていただきます」
そしてお披露目となる初の販売会も。訪れた人たちの手に、再び懐かしの味が戻ってきました。
二戸市民 女性「最近行っても買えなかったから、うれしいですよ」
二戸市民 女性「うれしいです!おみやげどこで探せばいんだって困っていたから」
製造から接客まで大忙しだった向井さん。やっと一息できそうです。
向井優衣さん
「怒とうの(汗)でも沢山の皆さんに並んでいただいて。ありがたかったです。うれしいお声もたくさんいただいて。(昨夜まで)ギリギリまで製造してたのでお声いただくやってよかったと思いました」
二戸市民 子ども「おいしいし?!」
扇田浩一さん
「(チーズピッコロ」という)名前がこれからもずっと残っていく、こんなうれしいことはないですね」
失われかけたまちの逸品、残したいという沢山の想いが形となり、未来へとつながれました。
復活を遂げた「チーズ・ピッコロ」ですが、二戸市のあべはんグループ本社に併設しているショップで数量限定で販売されています。予約販売などは行っていないということです。
(05/01 19:06 テレビ岩手)
・TOP
Copyright(C)NNN(Nippon News Network)