■シリーズ絆A雫石町唯一の小児科医 地域との絆(岩手県)
県内各地の様々な『絆』をシリーズでお伝えしています。2回目は、雫石町で唯一の小児科医院です。地域との絆を大切にしながら、50年以上に渡り子どもたちと向き合い続けています。
雫石町 唯一の小児科「上原小児科医院」。どこか懐かしい雰囲気の院内には、日々、多くの子供達が診察を受けに訪れます。
お父さん雫石町在住
「(自身も)幼稚園の頃からずっとここだったので安心感がある」
お母さん雫石町在住
「お兄ちゃん二人居るんですけど、そこから良くしてもらっている。休みの日でもすぐ対応してくれる」
ここに、およそ50年。地域の子どもたちと向き合い続ける一人の医師がいました。
上原院長「おはよー」看護師「おはようございますー!」
院長の上原 充郎先生、御年83歳。高齢となった今もなお、休むことなく診療を続けています。
お母さん「咳と鼻水が酷くて、咳も」
上原院長「いつから?」
お母さん「火曜日からです」
上原院長「何年生になったの?」
子ども「3年生」
上原院長「大きくなったなぁ」
小児科医としての"モットー"を聞いてみると…
上原院長
「親の気持ちで診ることだと思う。自分の子ならどうしようという気持ちで診ることだと思う」
■診察
上原院長「点滴してくか?」
お母さん「早めに治った方が助かります」
上原院長「その方がいいね。早く治るべし」
二戸市浄法寺町出身の上原院長は岩手医大を卒業後、病院勤務を経て1974年(昭和49年)に雫石町の現在の場所に上原小児科医院を開業しました。
上原院長
「医大に入った年に雫石から来た子どもが、がん(急性骨髄性白血病)になっていた。その時の親が"雫石に小児科があればこんなにならなくて良かった"と言っていた」
当時の地域医療の限界を強く感じた実体験。上原院長は"地域社会とより密接に関わる小児科医院"を目指し、現在まで走り続けて来ました。
■検診
この日は、雫石町内の保育園の内科検診へ。学校医としての仕事も開業当時から今に続いています。
上原院長
「俺が来た頃は雫石町だけで300人産まれていた。去年は60人。少なくなってしまったね」「こんにちは。どうもどうも」
子どもの数は少なくなっても、向き合い方は今も昔も変わりません。
上原院長「はい、おいでー、タッチ!これで終わり?」
御所保育園 米澤繁園長
「一貫して子どもの健康状態見続けていますので、我々としても安心してお願いできる体制になっていました。厳しい面もありますが、優しい先生です」
多忙な毎日を送る上原院長。その原動力は?
上原院長
「患者さん診るのが楽しみですよ、生き甲斐ですね。治ってくれるのが楽しみ」
そんな上原院長ですが、こんな悩みも抱えていました。机に貼られた「怒るな!」の文字。
上原院長
「俺は怒ったつもりはないのになぁ。親が考えてくることと違うことを言うと怒られたと思う。例えば、どうしてもっと早く来なかったの?とか。怒られたと感じたりする親もいる」
子どものことを思うがゆえの言葉が、本意ではない受け取られ方をされることも。「愛ある厳しさ」と「時代の変化」への葛藤が垣間見えます。
看護師3人
「まぁ優しいところもあるとは思います。それこそ親子三代できている患者さんもいる。私より長い付き合いの患者さんもいっぱいいる。先生の時間が許せば休みでも夜中でも診てくれる。地元の人たちには重宝されている場所だと思う」
■野菊ホール
雫石町野菊ホール。診察を終えた上原院長の姿が。小児科医と違う顔がありました。
先生「さっきまで診察だったから着替える暇がなかった」
学生時代からサックスに親しんできたという上原院長。自ら町に働きかけ結成されたという吹奏楽クラブの練習です。
上原院長
「町内の学校を卒業すると楽器をやめてしまう。楽器をやれる子達がいっぱいいることは知っていた。それを1つにまとめたいというのがきっかけ」
講師のトランペット奏者 佐々木駿さん
「どちらにも本気。趣味だから時間がある時にやろうとかではなく毎日何時間も練習される お仕事ももちろん。常に医者であり音楽家でもある」
地域医療とはまた別の角度から町を盛り上げて。
上原院長
「自分の家族の様に接する。いくらかでもそういう気持ちで接する。自分の家族ならどうする?絆とはそういうところだと思う」
子どもたち、そして地域との「絆」。町唯一の小児科が町の未来を照らします。
上原院長「早く良くなれ!」
(06/12 18:54 テレビ岩手)
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