■町←まち?ちょう? なぜ住んでいる場所で名前違うの?(熊本県)
ニュースのそもそもをひも解く「県民のギモン」。
今回のテーマは「自治体の「まち」と「ちょう」なぜ分かれているの?」
熊本県内45市町村のうち「町」は23ありますが、このうち20の自治体が「まち」と呼び、あさぎり町、氷川町、山都町の3つだけが「ちょう」と呼びます。その理由に迫るために、専門家を訪ねました。
【VTR】
吉田佳記者が訪ねたのは、熊本大学です。地理学を専門に研究する鹿嶋洋教授に話をうかがいました。答えは歴史の中にあるといいます。
■熊本大学文学部 地理学研究室・鹿嶋洋教授
「熊本県内では、昔はすべて『まち』だった。あさぎり町、氷川町、山都町、この3つはいずれも平成の大合併以降に合併して新たに『ちょう』になっています」
「ちょう」と読む3つの町は、いずれも2003年以降に誕生した自治体だと指摘します。
■鹿嶋洋教授
「平成の大合併で新しくなったところがあえてまちではなくちょうにすることが増えている。新しさ、新鮮なイメージ、響きの良さが考慮されているのではないかと言われています」
ということで、平成の大合併で誕生した県内の3町に聞いてみました。名前が「ちょう」となった理由について、あさぎり町と山都町は「新たな町の名前を公募した時、『ちょう』で応募があったから」。そして氷川町は「氷川という名前が先に決まり、全国的にはまちより『ちょう』が多かったから」と回答しました。
【スタジオ】
(緒方太郎キャスター)
鹿嶋教授の解説通り、「ちょう」は平成以降のトレンドなのかもしれませんね。
(吉田佳記者)
全国的には「まち」と「ちょう」どちらが多いのか。各都道府県に問い合わせた結果です。「まち」が277に対し、「ちょう」が466とかなり多いことがわかりました。
各都道府県で「まち」と「ちょう」のどちらが多いか色分けしてみました。北陸から関東などでは赤とオレンジの「まち」が多く、東海地方から西では青と水色の「ちょう」が多いと分かれる結果になりました。不思議なことに九州は混在していることが分かります。この全国的な傾向についても、鹿嶋教授に聞いてみました。
【VTR】
■吉田佳記者
「『まち』と『ちょう』が分かれている理由って何かあるんでしょうか?」
■熊本大学文学部 地理学研究室・鹿嶋洋教授
「はっきり言ってわかりません。非常に難しいです。だけど、いくつかの仮説が考えられると思います」
(緒方太郎キャスター)
「まち」と「ちょう」を使い分ける理由をめぐり、複数の説があるわけですね!
鹿嶋教授がそのうちの1つを教えてくれました。起源は、江戸時代に遡るというんです。
■鹿嶋洋教授
「江戸の城下ですね。武家地、つまり侍が住んでいる場所が“まち”と呼ばれていて、それに対して町人が住んでいるところが“ちょう”と江戸の城下町では言われていました」
(緒方太郎キャスター)
住んでいた人の属性で地名を呼び分けるようになったということですか?
政治の拠点は、江戸幕府が開かれたことで関西から関東に移されました。鹿嶋教授によりますと、それ以降、江戸城の周辺で侍が多くいた関東などでは「まち」が。そして後に「商人の町」と呼ばれるようになる大阪を中心に、町人が多かった関西では「ちょう」が優勢になったのではないかということです。
【スタジオ】
(緒方太郎キャスター)
私が生まれた山形県もほとんどが「まち」でしたから、日本全体では「ちょう」が多かったのは個人的に意外でしたね。
(吉田佳記者)
「正解」がわかったわけではありませんが、江戸時代に起源があるかもしれないというのはロマンを感じました。ゴールデンウイークにお出かけの際は旅先で「まち」か「ちょう」か調べてみるのもよいかもしれません。
(04/25 19:18 熊本県民テレビ)
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